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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)4537号 判決

東京都千代田区神田錦町三丁目三番地

原告 株式会社錦町ビル

右代表者代表取締役 池田恒雄

右訴訟代理人弁護士 大橋弘利

右同所、株式会社錦町ビル内

被告 深沢弥一郎

外七名

右八名訴訟代理人弁護士 鍛治良堅

同 鍛治千鶴子

被告 武田サダ子

外二名

右三名訴訟代理人弁護士 一松定吉

同 田坂幹守

被告 若狭悦蔵

外三名

右四名訴訟代理人弁護士 緒方浩

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(双方の申立)

原告は、被告等は原告に対して別紙目録記載の貸室を明渡し、且つ、昭和三三年一月一九日から明渡済まで別紙目録記載の損害金を支払うこと、訴訟費用は被告等の負担とするとの判決及び仮執行の宣言を求め、各被告は主文同旨の判決を求めた。

(原告の請求原因)

(一)、原告は昭和三一年四月六日訴外夏山義雄こと曹乗昊から別紙目録記載の鉄筋コンクリート造五階建家屋一棟を買受け、夏山と被告等(但し、被告竹山を除く)の貸室賃貸借契約を承継した。

右賃貸借は存続期間を昭和三一年一月一八日から二年間、賃料を六畳の貸室は一月二、一五〇円、四畳半の貸室は一月一、五五〇円の約定であつて、被告竹山は被告左右田の雇人として別紙目録記載の貸室を占有しているものである。

(二)、原告は昭和三一年四月四日に不動産の賃貸、売買及び周旋業等をなすことを目的として設立された会社であるが、実質的には訴外株式会社ベースボールマガジン社の不動産部たる実体を有する会社である。すなわちベースボールマガジン社は当時、東京都千代田区神田鎌倉町一番地の日本野球連盟所有の木造トタン葺二階建工場兼事務所の一部を賃借して同所で営業をしていたが、事業の発展に伴い社屋がせまくなつたので、その営業所に使用する目的で本件建物を買入れることになつたが、営業政策上の見地から同社自からこれを買入れることをせずに、別に資本金二〇〇万円の原告会社を設立して原告会社にこれを買取らせることにしたものであつて、役職員も両社共通であり、本件建物の買受代金一、一〇〇万円もすべてベースボールマガジン社においてこれを調達したものである。なお、ベースボールマガジン社には、原告会社の外にも、その子会社として株式会社日本スポーツ出版広告社(ベースボールマガジン社の広告部門を担当するもので、昭和二九年八月二六日設立された資本金二〇万円の会社)及び日本ヘルス株式会社(スポーツ用薬品及び運動用具の輸出入及び販売を目的として昭和三一年五月一〇日設立された資本金五〇万円の会社でベースボールマガジン社の物品販売部門を担当するもの)があり、原告会社は、親会社のベースボールマガジン社を通じて右の両子会社とも緊密に結びついていていわゆる姉妹会社の関係にあるのである。

(三)、原告が本件建物を買受けると、ベースボールマガジン社は旧社屋から本件建物に移つたが、次に述べるような同社のその後の事業の発展と原告及び姉妹会社のその後の状況からして、原告は自己及び関係会社において自ら被告等の借室を使用する必要に迫られたので、これを理由として、被告等に対して昭和三二年四月二四日頃到達の書面をもつて更新拒絶の通知をした。原告は、前記のようにベースボールマガジン社の子会社で、その実質は同社の不動産部にあたるものであるから、ベースボールマガジン社及びその子会社である前記日本スポーツ出版広告社及び日本ヘルスの自己使用の必要性は当然原告自身の自己使用の必要性と同視され、更新拒絶の正当事由を構成するものというべきであるから、原被告等間の本件賃貸借は右の更新拒絶によつて期間の満了と同時に終了したものである。

(イ)、ベースボールマガジン社はスポーツに関する日本有数の出版社で、ベースボールマガジンその他の雑誌や単行本を出版している。原告が本件建物を買入れた昭和三一年四月当時は社員四八名で一月の売上高が千八百余万円であつたが、更新拒絶の通知をした翌三二年四月当時には社員が八二名、一月の売上高が三千二百余万円にのび、さらに翌三四年二月には社員一〇四名(但し、広告部の八名は日本スポーツ出版広告社と兼務)、一月の売上高は八千三百万円になつて事務所が極度に手狭になつて、事務能率が阻害され、円滑な事務処理が困難な状態になつている。

(ロ)、日本スポーツ出版広告社は前記神田鎌倉町のベースボールマガジン社の旧社屋を使用しているが、所有者たる日本野球連盟から明渡を要求されている上に、ベースボールマガジン社と事務所が離れているため不便この上ないので是非とも本件家屋に移転する必要がある。なお、社員数は昭和三一年四月は四名、翌三二年四月には五名、翌三三年四月には八名になつている。

(ハ)、日本ヘルスは社員四名で、本件家屋の五階にある二坪足らずの一室を使用しているが、たとえ共用のものでも、商品置場や応接室がなければ円滑な商取引ができないので、これ亦その使用部分を拡張する必要がある。

(二)、原告会社には現在社員が三名いるが、独立の事務室がなく、ベースボールマガジン社の事務室の一部で執務している状態なので、事務を秩序正しく能率的に処理するには少くとも一室を必要とする。

(ホ)、本件建物の使用状況は別紙第一図面記載のとおりで、極度に手狭なので、原告は原告及び前記関係会社のために被告等に明渡を求め、これを別紙第二図面記載のように使用する必要がある。したがつて、原告のなした更新拒絶には正当の事由がある。

(四)、右のように、原被告等の賃貸借は昭和三三年一月一八日限り終了したのに、被告等はその後も別紙目録の貸室を占有しているので、被告等に対して貸室の明渡と賃貸借終了の翌日から明渡済までそれぞれ別紙目録記載の賃料相当の損害金の支払を求める。

(被告等の答弁)

(認否)

(一)の事実は認める。

但し、被告若狭等訴訟代理人は、被告若狭及び早川の賃貸借は期間の定めのないものであり、被告竹山は被告左右田の傭人であるが、同被告と共同して原告主張の貸室を賃借しているものであると述べた。

(二)の事実は原告がその主張のような会社であることは認めるが、その他の事実は知らない。

(三)の事実は原告主張のような更新拒絶の通知のあつたこと及び本件建物の使用状況が別紙第一図面の記載のとおりであることは認めるが、その他の事実は知らない。

なお、被告深津等訴訟代理人は、原告は本件建物を中央製版株式会社及び大橋弘利にも賃貸してこれを使用させているものであると述べた。

(四)の事実は被告等が原告主張の貸室を占有していること及び賃料相当額が原告主張のとおりであることは認めるが、賃貸借終了の事実は否認する。

(主張)

原告は不動産の売買、賃貸等をなすことを目的として設立された会社であつて、独立の法人である。そして現に本件建物を被告等及びベースボールマガジン社等に賃貸して所期の目的を十分に達しているのである。したがつて、原告には更新拒絶の正当事由は全くない。

仮りに原告とベースボールマガジン社等の関係が原告のいうとおりであつて、右の関係会社において本件建物を使用する必要があるとしても、原告が自から使用することを必要とする場合ではないから、これらの事由は更新拒絶の正当事由となるべきものではない。

仮りに然らずとしても、被告等はいづれも以前から本件建物を賃借して居住している者であつて、原告は、この事実を知つて本件建物を買受けたものである。しかも、被告等は別紙準備書面記載のとおり、いづれも低額所得者であつて、本件建物の附近に職場を持ち、安い家賃と交通費の節約に支えられて辛うじてその生計を維持している者であるから、原告が関係会社の事業の発展を理由として被告等に対して明渡を求めることはとうてい許されない。

なお、被告深津等訴訟代理人は、被告等は原告の前主夏山義雄からも明渡の請求をうけたが、賃料の値上によつて円満に解決し、夏山は被告等に対して今後は正当な理由のない限り明渡の請求をしないことを約し、賃貸条項のうちにも特に賃貸期間を更新し得る旨をうたつているのであるから、これらの事項は当然原告にもその効力を及ぼすべきものであつて、この点を考慮すれば原告には益々その正当事由がないことになると述べた。

(原告の再答弁)

被告若狭及び早川に対する賃貸借が期間の定めのないものであるとすれば、本件訴状の送達によつて同被告等に対して解約の申入れがあつたことになるから、送達の日から六月を経過した昭和三三年一二月一九日に右賃貸借は終了したことになる。

訴外中央製版株式会社は本件建物所在地に本店を置く会社であるが、同会社に対して原告が本件建物の一部を賃貸している事実はない。また、大橋弘利は原告の法律顧問として別紙第一図の法律顧問室を使用しているにすぎない。なお、原告が関係会社に本件建物を賃貸していることは認める。

原告は、訴外夏山義雄が自分の責任で本件建物の居住者を立退かせると言明していたので、その言葉を信じ、本件建物全部をベースボールマガジン社及びその関係会社の事務所に使用する目的で買受けたものである。なお、夏山と被告等の間に被告深津等訴訟代理人のいうような取りきめのあつたことは知らない。

被告等の収入、勤務先その他別紙準備書面記載の事実は知らない。

(証拠関係)≪省略≫

理由

原告が不動産の売買及び賃貸等を目的として昭和三一年四月四日に設立された会社であつて、同月六日訴外夏山義雄から本件の鉄筋コンクリート造五階建建物一棟を買取り、右訴外人と被告等の本件貸室の賃貸借契約を承継したこと、右賃貸借が存続期間を昭和三一年一月一八日から二年間、賃料を一月六畳の間は二、一五〇円、四畳半の間は一、五五〇円の約定であつたこと(但し、被告竹山も賃借人であつたのかどうかの点並びに被告若狭及び早川の賃貸借に期間の定めがあつたのかどうかの点はしばらく措く)、原告が昭和三二年四月二四日頃被告等に対して自己及びその関係会社において本件貸室を使用する必要があることを理由として更新拒絶の通知をしたことはいづれも当事者間に争がなく、本訴の主要な争点は、要するに、原告のなした更新拒絶ないしは解約の申入に正当の事由があるかどうかの点である。

よつて、まづ、原告が本件建物を買取るまでのいきさつ、原告と関係会社の関係及びいわゆるその自己使用の必要性等をみると、

(1)当該被告等の関係部分についてそれぞれ成立に争のない甲第一号証の一ないし一二、被告深津弥一郎、岩田住江、牧田茂輔、浪間八重、大島一、西俣義男、加納俊二郎、岩瀬茂各本人の陳述によつてその成立を認めることのできる乙第一号証の一ないし八、右各被告本人及び証人若狭近子、同早川兼治、被告左右田甲、武田サダ子、奈良井さわ、高場亀松の各供述、証人夏山義雄の証言の一部並びに弁論の全趣旨を綜合すると、本件建物はもと訴外葛和安太郎がアパートとして作つたもので、その後同人から夏山義雄に、夏山から原告にその所有権が移つたものであるが、夏山時代もアパートとして利用されていて、被告竹山を除くその余の被告等は、夏山から期限の定めなく貸室を賃借りしていた者であるが、夏山が被告等に対して明渡を要求し、被告等がこれに応じなかつたことから紛議が生じ、双方の間に抗争が続いたが、被告岩瀬茂、大島一等が中心となつて、交渉した結果、夏山は、本件建物の管理人で同人の代理人であつた訴外大林知也を介して、被告等に対する明渡の要求を撤回し、賃料の値上によつて、一切の紛議を解決することになり、昭和三一年一月一八日、従前の賃料を約八割値上げし、これと引換に、被告等に対する明渡の要求をとりやめ、被告等に、今後長期間にわたつて、その貸室を使用させることを確約し、右の趣旨を明らかにするため、大部分の被告に対して、「今度妥当な理由のない以外の場合は明渡要求は致しません」という念書を差入れると共に被告若狭、早川、竹山以外の被告等との間では、従来、期間について定めのなかつた賃貸借を存続期期間を向う二年とする賃貸借に改め、その契約条項のうちに特に「期間を更新することを得る」旨を明記して長期使用を容認する前記趣旨を重ねて明らかにしている事実を認めることができる。証人夏山義雄の証言のうちこの認定にふれる部分は採用しない。そして、夏山と被告等の間におけるこの特約は、法律上、夏山の特定承継人である原告に対しても当然その拘束力を及ぼすべき性質のものであるから、原告は、被告等の本件賃借権については、とりわけ十二分の考慮を払い、特別の事情のない限り、更新を拒絶したり、解約を申入れたりすることは、法律上許されない関係にあるものといわなければならない。もつとも、証人夏山義雄、清水敏雄及び原告代表者の供述によれば、夏山は、原告に本件建物を売却する際、被告等との間に前記の如き約定の成立していることは、これを秘し、自分は、本件建物の居住者とは、親しい関係にあるので、自分が誠意を披歴して努力すれば、容易に明渡をうけられるもののように話し、原告もこの話を信じて本件建物を買受けたもののように窺われるが、原告がほんとうにそう思つたとしても、そう考えたことは取引の通念に照らして重大な過失を犯したものという外はないから、原告にこうした誤信があつたからといつて前記の拘束を免れ得る筋合のものではない。

(2)証人清水敏雄、夏山義雄及び原告代表者の供述によると、原告が本件建物を買受けた目的は訴外株式会社ベースボールマガジン社の社屋として使用するためであつたことがわかる。すなわち、当時ベースボールマガジン社は神田鎌倉町の日本野球連盟所有の建物の一部で営業していたが、事務所がせまく、且つ、建物も古くて危険なので本件建物を買取つて移転することになり、夏山との間に代金一、一〇〇万円で商談が成立したが、営業政策上の考慮から同社が自からこれを買取ることをせず、その子会社として別に原告会社を作つてこれに買取らせたものであつて、その買入資金はベースボールマガジン社においてこれを調達したものであることが認められ、そして、

(3)成立に争のない甲第三ないし第六号証と証人清水敏雄及び原告代表者の供述並びに前段認定の事実を綜合すれば、原告の代表者池田恒雄は同時にベースボールマガジン社の代表取締役であり、他の役員もベースボールマガジン社の役職員が就任していて両社はいわゆる親子関係にある会社であること、また、株式会社日本スポーツ出版広告社及び日本ヘルス株式会社の両社とベースボールマガジン社との間にも同様の親子関係の存在が認められ、そして、

(4)清水証人及び原告代表者の供述によると、ベースボールマガジン社は原告が本件建物を買入れるとここへ移転したが、その後事業の発展につれて事務所が手狭になつていることが認められる。すなわち、移転当時は社員が約五〇名で一月の売上高が約二千万円位であつたが、原告が更新拒絶の通知をした約一年後の昭和三二年四月頃には社員数が約一〇〇名にふえ、現在は社員約一五〇名、一月の売上高が七、八千万円にのぼつて事務所がひどく手狭になつているので、広告部及び出版部(部員数約二〇名)は他に分室を設けて移転している事実が認められ、また、日本スポーツ出版広告社も昭和三一年四月当時は四名であつた社員が翌三二年四月には五名になり、現在は八名となつているが、本件建物の一部に被告等が居住して手狭なため他に事務所を設けて営業しており、日本ヘルスは社員が四名で本件建物の五階の一部を使用していたが、ベースボールマガジン社の事務所が狭隘になつたため本年六月他へ移転した事実が認められる。そして、原告代表者の陳述によれば、本件建物の昭和三三年九月当時の使用状況は別紙第一図面記載のとおりであつて、ひどく手狭な上にベースボールマガジン社においては更らに事業を拡張する計画もあつて、被告等の占有部分の明渡をうけた上、日本スポーツ出版広告社、日本ヘルス及び原告会社をもこれに収容し、本件建物を別紙第二図面記載のように使用したい意向であることが認められ、また、中央製版株式会社はベースボールマガジン社の事務室内に机を一つ置くだけで社員が常駐するわけではなく、大橋弘利はベースボールマガジン社の法律顧問として別紙第一図面の法律顧問室を使用しているにすぎないことが認められる。他に以上の認定を左右するに足る資料はない。

右の(2)から(4)までに認定した事実からすれば、原告は、その主張するようにベースボールマガジン社の子会社であつて、日本スポーツ出版広告社及び日本ヘルスとは姉妹会社の関係にあり、これらの関係会社、ことにベースボールマガジン社において被告等の本件建物占有部分を使用する必要のあることが認められる。ところで、原告は、関係会社の使用の必要性と原告自身の自己使用の必要性とはこれを同視すべきものであるといい、被告等は厳にこれを区別すべきものであつて、関係会社の使用の必要性を理由とする原告の更新拒絶は自から使用することを必要とする場合にあたらないから全くその理由がないものであるという。思うに、形式論理の問題としては被告等所論のとおりだろうが、現実の経済実体としていわゆる親子会社ないし姉妹会社が存在することは公知の事実であり、そして、親会社と子会社は相互に特殊の利便を供与し合うものであり、姉妹会社相互の間にも亦同様な関係があつて、いわば一種の利益共同体を構成している点にこの種の企業結合の存在理由があるのだから、これらの会社がそれぞれ別個独立の法人であることを理由として、子会社のなした更新拒絶の正当事由の存否を判断する場合には、親会社や姉妹会社における使用の必要性は全然これを考慮の外におくべきものであると断ずることは経済取引における実際の要求を無視するものであつて、こうした関係会社の使用の必要性も或る限度において自己使用の場合に準じてこれを正当事由の一要素として斟酌するのが相当であると考える。ところで、子会社が親会社の一部門として親会社に吸収されずに独立の法人格を保持しているのは決して単なる法技術ではなく、独立の法人格を有することによつて特別の利益を獲得するための措置なのであるから、利益追求の面においては人格の独立性を主張しながらそれが不利益に作用する場合にはその独立性を蔽うて従属性を強調し、関係会社を一体視するようなことは全く筋道の通らないことであるといわねばならない。したがつて、親会社や姉妹会社の使用の必要性は、いわゆる正当事由の組成要素としては親かその子に、賃貸人がその姉妹に借家を使用させる必要のある場合などに比して、その比重において遙かに低いものとみるのが相当である。これ、前記判示において「或る限度において」といつた所以であつて、この点と前記(1)において示したように原告が被告等の賃借権を十分に尊重すべき特別の関係にあることとを考え合せれば、原告のなした更新拒絶ないしは解約の申入はその正当性において微弱なるものといわざるを得ない。ことに、原告は不動産の売買、賃貸を目的とする会社なのであるから、本件貸室を他人に賃貸することは会社本来の目的に適合する所以なのであるから益々もつて然りといわざるを得ない。なお、原告は原告自身の自己使用の必要性についてはなんの立証もしていないが、仮りにこの点に関する原告の主張を容れたとしても、前記判断に格別の影響のないものであることをつけ加えておく。

一方、被告側の事情もみると、

被告深津弥一郎は、同被告の陳述によると、昭和二三年六月から本件建物に居住していて、中央区日本橋兜町の偕成証券株式会社に事務員として勤務し月収二万円を得ているが、三人家族で、他へ移転すれば家賃がかさむし、通勤(都電約二〇分)も不便になるので明渡に応じられないとしているものであることが認められ、

被告岩田住江は、同被告の陳述によると、昭和一九年一一月から本件建物に居住していて、独身で、中央区銀座の帝国地方行政学会に事務員として勤務し月収一万五千円を得ているが、本件建物が鉄筋のアパートで用心がよく、勤務先への通勤の便もよく(都電約一五分から二〇分)、家賃も格安である上に他の居住者とも親しくなつているので、他へ移転する意向のないものであることが認められ、

被告牧田茂輔は、同被告の陳述によると、独身で、昭和一二年七月から本件物建に居住していて、日本通運株式会社東京支店に集金係として勤務し月収一万三千円を得ているが、長年本件建物に居住していて他の居住者とも親しくなつており、病気の際には食事の世話になつたり、看護をうけたりしている上に、家賃も格安で通勤の便もよく(都電一七、八分から二三、四分位)、集金先も本件建物の附近が多いことなどから他への移転には応じられないとしているものであることが認められ、

被告浪間八重は、同被告の陳述によると、昭和二〇年三月から本件建物に居住していて、一橋中学在学中の息子と二人暮で附近の町会事務所の手伝等をして月収八千八百円位を得ている者であつて、収入の点からも、仕事先の関係(徒歩二、三分)や息子の通学の便宜(徒歩五分位)の点からも他へ転移することが困難な状況にあるものであることが認められ、

被告大島一は、同被告の陳述によると、昭和二五年一二月から本件建物に居住していて、京橋の千代田生命に保険料の集金係として勤務し、自転車で通勤し、月収二万五千円を得ているが、四人家族で、勤務先も近く、その集金担当区域が千代田区である上に次男(中学生)の通学の便宜などをも考慮して明渡には応じられないとしているものであることが認められ、

被告西俣義男は、同被告の陳述によると、昭和一八年一月から本件建物に居住していて、妻と二人暮で、徒歩一二、三分の距離にある株式会社宝商会に事務員として勤務し月収一万五千円を得ているが、収入の点や通勤の便宜を考えて明渡に応じられないとしているものであることが認められ、

被告加納俊二郎は、同被告の陳述によると、昭和二〇年三月から本件建物に居住していて、独身で、徒歩三分位の距離にある富山房に小使として勤め月収一万円を得ているが、収入の点や通勤の便宜を考え、且つ、病弱なので、本件建物に居れば他の同居者から病気をした際にも世話になれることなどから明渡には応じられないとしているものであることが認められ、

被告岩瀬茂は、同被告の陳述によると、昭和二三年五月から本件建物に居住していて、主婦の友社(徒歩五分)に編集員として勤務し月収三万三千円を得ているが、五人家族で、他へ移転すれば相当経費がかさむ上に仕事の性質上帰宅が一時、二時になることも珍らしくないので、至近距離にある本件建物に居住する必要があるとして明渡に応じられないとしているもの

被告武田サダ子は、同被告の陳述によると、昭和二〇年五月から本件建物に居住していて、妹と甥の三人暮で本人は無職で、京橋の大映本社に勤務している妹の収入(一月一万五千円)によつて生計を維持している者であるが、他へ移転すれば妹の通勤(都電一五分から二〇分)も不便になり家賃もかさむため明渡に応じられないとしているものであることが認められ、

被告奈良井さわは、同被告の陳述によると、昭和二〇年九月から本件建物に居住していて、日本橋の白木屋に事務員として勤務し月収一万五千円を得ていること、本人は独身であるが、病弱で、医療費も要る上に田舎の兄弟へ仕送をしたりしていて、他へ移転すれば通勤(都電二〇分)も不便になり、家賃もかさむため明渡の要求には応じられないとしているものであることが認められ、

被告高場亀松は、同被告の陳述によると、約一〇年前から本件建物に居住していて、日本橋の繊維会社に事務員として勤務し月収一万七千円を得ているが、四人家族で、本人も病弱で、他へ移転することは通勤(都電三〇分)にも不便になり、家賃もかさむため応じがたいとしているものであることが認められ、

被告若狭悦蔵は、証人若狭近子の証言によれば、昭和二四年四月から本件建物に居住していて、昭和三〇年頃までは原告の前主夏山義雄のために本件建物の管理人をしていて無償で貸室を使用していたが、管理人を辞してからは期間の定めなく本件貸室を賃借りして現在に至つている者であること、同人は内外レントゲンフイルム株式会社の社長をしているが、右会社は実質的にはメーカーの小西六の支配する会社であつて、月収は二万五千円から三万円位で一家四人の生計に余裕がなく、他へ移転すれば通勤(徒歩五分)も不便になり、家賃もかさむため明渡の要求には応じ難いとしているものであり、原告から調停申立の際も移転先や立退料の点で折合わずに不調になつたものであることが認められ、

被告早川チツヨは、証人早川兼治の証言によれば、被告若狭の親戚で、昭和二六年頃から本件建物に居住していて、息子の兼治と二人暮で兼治の収入(兼治は前記内外レントゲンフイルム株式会社の取締役に名をつらねていて月収一万七千円)によつて生計を支えている者であり、他へ移転することは兼治の通勤の便からいつても、生活費の点からいつても困難であるとしているものであつて、前記原告からの調停申立の際も若狭被告と同様な事情から不調に終つたものであることが認められ、

被告左右田甲及び竹山信道については、右被告両名の陳述によると、被告左右田甲は本件建物の隣りにある三階建の建物を借受けこれを工場兼住居として株式会社三星社を経営する外イ、ロ印刷所(本件建物から徒歩二、三分)をも経営し、従業員三〇数名を使用して写真製版及び印刷業を営んでいる者であつて、被告竹山は、被告左右田の一番番頭として常時被告左右田を補佐している者であること、被告左右田は戦災にあつて本件建物の一室を借りて一時ここに居住していたが、昭和二五、六年頃から被告竹山がその家族とともに被告左右田の右借室に居住して現在に至つており、原告も、原告の前主夏山も共に被告竹山の本件貸室の使用を承認していたものであること被告竹山は四人家族で月収約二万円位しかない上に、仕事の性質上深夜業が多かつたり、校正の変更等による緊急の仕事があつたりして、被告左右田の居宅と工場に近接する本件建物に居住していることが是非必要なので他に移転することができないとしているものであることが認められ、他に右の認定を左右するに足る資料はない。

右に認定したように、被告等の側における本件貸室に居住する必要性の程度には濃淡の差があつて、必ずしも一様ではなく、なかには他へ移転しても、その生活にさして深刻な打撃をうけないですむだろうと認められる者もあるが、いづれも明渡を拒むにつき一応相当な理由があるものということができる。これに対して、原告のなした更新の拒絶ないしは解約の申入は、前記のとおり、その正当性において微弱なるものであるといわねばならないから彼方対比して考えれば、原告のなした更新の拒絶ないしは解約の申入はいわゆる正当の事由を欠くものと解するのが相当であると考える。

よつて、原告の請求を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石井良三)

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